コトバ研究所

言葉って面白い

はじめに

こんにちは。コトバ研究所所長のユーと申します。

 

この研究所は私が文章力を磨くために思いつきで開設した、

言葉についての独自解釈をつらつらと書き並べる場でございます。

 

世の中にはたくさんの言葉があり、色々な意味を持っている。

同じものを表す言葉でも言語が違えば捉え方も変わってくる。

 

同じ言葉でも使う人、場面によってまったく異なる意味になる。

 

様々な顔を持つ「言葉」に対する考え方を思ったままに書いていきたいと思います。

 

ふせん

ふせん

本などに貼って目印にしたり、ちょっとしたメモを残したりするあれ

漢字で書くと付箋(附箋)

「箋」は細長い紙片や手紙のこと

「箋」を「付」けるから「付箋」

 

目印にはなるけどたくさん貼りすぎると何が何だか分からなくなる

ちゃんと管理しとかないと欲しいときにどこかへ行ってしまう

 

持ち運びやすい付箋ケースないかなぁ

送り仮名

昨日の「絵踏」について。

 

私は熟語として気持ち悪いと書いたが、色々調べてみると教科書によっては「絵踏み」と記載されているものもあるらしい。

 

それならまだ理解できる。「み」という送り仮名があるかないかというわずかな違いではあるが、自然に「絵を踏む」が浮かんでくる。

 

「絵踏」と表記されると熟語として見える。そうすると先にも書いたが構成がおかしくなり気持ちが悪い。

 

教科書を作っているのだからもう少し気を遣って言葉を選んでほしいものである。

 

 

二者択一

中学生が使う歴史の教科書を見る機会があった。

 

懐かしさとともに私の心にはなんともいえないもやもやが残った。

 

絵踏。

 

この言葉を目にしたときだ。

 

江戸幕府が行ったキリスト教徒を見つけ出すための行為だ。

 

私が中学生のころは踏絵と教科書に書かれていた。

 

別に子供の頃と表記が違うからおかしい!と文句を言っているのではなく、単に熟語として気持ち悪いのだ。

 

熟語の構成には

1 似た意味の語を合わせたもの 例 温暖

2 反対の意味の語を合わせたもの 例 多少

3 主語と述語の関係になっているもの 例 日照

4 上の語が下の語の修飾語になっているもの 例 高山

5 下の語が上の語の目的語になっているもの 例 入場

6 接頭語、接尾語のついたもの 例 未完 詩的

の6つがあったと記憶している。

 

絵踏という言葉はそのどれにも当てはまらないのだ。

 

「絵が踏む」でないのは明らかであるし、「絵を踏む」という意味で使うのならば、従来どおり踏絵でいいはずなのに。

 

一体なんの理由があってこんな無駄な変更を?と思ってしまった。

 

目的語が上にくる熟語は他にもあるのだろうか。

 

早い者勝ち

早さにはメリットがある。

 

早起きは三文の得というが、早起きすることで、使える時間が増え、自分のやりたいことができるという意味で解釈している。

 

早いということは余裕があるということだ。

余裕が作れる早さでなければ、メリットのある早さとはいえない。無駄に早いということになる。

 

先の諺でいえば、早く起きてもボーッと過ごしてしまっては普段と何も変わらない。早く起きて何をするか。この部分がなければ得をしたとはいえないのだ。

 

そういう観点から自分を振り替えると無駄な早さを求めてきたと思う。人生の得をあちこちに捨ててしまっていたのだ。反省。

面白い

日本語の面白いところは一つの言葉に複数の意味があることだと思う。

 

もちろん、外国語にだって複数の意味を持ったことばがある。しかし、それは根っこにある意味は同じでただ場面が異なるに過ぎない。

 

例えば take という英語。

辞書を引けば、

    持っていく

    連れていく

    奪う

などたくさんの意味が書いてあるが、基本的にはどれも「対象が今ある場所から離れる」という点で共通している。

 

一方で日本語の「面白い」ということばには、英語でいう

    interesting

    funny

という2つの根っこの異なることばの意味を含んでいる。

 

わずか26文字で全てを表そうとする英語の方が一つの単語に様々な意味を含めそうなものだけれども。

 

日本語は平仮名、片仮名、漢字と文字の数は世界の言語の中でも多いほうだろう。それでも1つのことばの中に意味を詰め込む。

 

そこになんともいえない「面白さ」を感じるのだ。

生き生きしたおじさん

魔女の一撃のように面白い言い回しをすることばが他にもないものかと調べていたら、見つけた。

 

tio vivo

 

スペイン語でメリーゴーランドを表すことばである。

 

それぞれの単語に分けると

 

tio→おじさん

 

vivo→生き生きとした、新鮮な

 

となる。

 

つまり直訳すると「生き生きとしたおじさん」ということになる。

 

どうして?

 

おじさんが元気にぐるぐる回るのか。

 

スペインには他に何かなかったのか。

 

疑問は尽きない。